アウトドア環境教育
山本 幹彦(当別エコロジカルコミュニティー代表)
学ぶってどういうこと?:感覚や経験を通して学び方を学ぶ
「マルチ能力」という言葉をご存じですか? 人間の脳には8個の特性があって、ある部分は言語を司るところ、ある部分は論理的な思考を司るところ、あるところでは空間認識を司る。こんなふうに8つの特性があるんですが、人はこれを平均的にバランスよく身につけてるんじゃなくて、それぞれの得意な分野と不得意な分野がありますよ、ということです。皆さんはどれに当てはまりますか。論理的に考えて学ぶ人。身体を動かして学ぶ人。内省的にじっくりじっくり考える人。人と話しながら考える人。
人にはそれぞれこういう能力があって、今教室の中でやってるのは、例えば言語を教えている時には、言語に得意な8分の1の子どもしか学んでないんです。あとの子どもたちは言語が不得意にも関わらず、ずっと教科書を読まされ続けるんですよ。もう少しそれぞれの子どもの特性に合ったやり方、音楽をやりたい子がいれば、運動が得意な子もいるかもしれない。そうしたら、運動しながら算数をやればいいんです。音楽と一緒に算数をやればいいんです。自分がやりたいことをやってるときが一番学んでるんです。そういう教育の仕方をもっと考えていかないとダメなんじゃないの。じゃあこれを教室の外に出てみれば、より可能性が広がってこないかな。そんなことが出来ないかなと思っています。
学びにはこんな方程式があって、「知識=情報×ふりかえり」だと言われています。
情報には2つの種類があって、体験を通して直接入ってくる「1次情報」と、誰かから教わったり、教科書を通して間接的に入ってくる「2次情報」。要するに、教室の中では、教科書による2次情報ばかりを文字として覚え込まされている。でもそうではなく、直接的な体験があって初めて、2次情報で言われてることが理解できるわけですよね。よく言われるじゃないですか、「頭だけで物事を考えてる」って。こういうことじゃないかなと思います。
それからふりかえり学習ですよね。「今日の授業でどんなことが自分の中で大切だと思った?」そんなふりかえりが必要です。そこから自分なりの認識の仕方を理解していく。要するに、学び方を学ぶ。「メタ学習」と言うんですが、自分はどんなことを学んだのか、どんなふうに学べば、それが自分のものとして生活に役立っていくのか。 そういう学び方が大切ですよね。
詰め込み教育だということがよく言われていますが、暗記として新しい情報を次々に教え込むのではなくて、ちゃんと生活に活かしていける学びをするためには、その人の今までの経験と照らし合わせて、「ああこれはこういうことなんだ」とその人なりの理解をする必要がある。人が物事を学ぶとき、認識するときは、本来こういうことなんじゃないですか。そうやって初めて、学びが自分のものになり、生活に役立つものになっていく。それを「構成主義」と言います。新しいものを詰め込めばいいということではなくて、そこで得た体験と、今までの経験を構成して、人は物事を認識していくんです。
ですから、本当に子どもたちが学ぶための体験学習とは何かっていうことを、もう一度考えないといけないんじゃないかと思うんです。
1次情報としての体験の基本はハンズオンです。いろんなものに直接触れること。そこで感じること。それが大切なんですね。
そうすると、どこで勉強するのかという場所が大切になってきます。授業によって、中と外をどう使い分けるのか。そして場所によって、その内容をどう使い分けるのかが大切です。せっかく外に出てきたのに、教科書の内容を外で教えていてはダメですよね。そこでは感性とかセンスとか、感情。そういったものを体験を通して育てていく。
方法としては、ボールを使ったりロープを使ったり、いろんな道具を使うことが出来ます。互いにコミュニケーションをとりながら、グループで取り組むこともひとつの方法です。例えば、「これから1メートルのロープを渡すから、自然の中で同じ長さの物ってどんなものがあるだろう」とかね。そうやって「長さ」の概念を理解していく。ロープを使って、簡単な文字や漢字も作れるでしょうね。字で書くんじゃなくて、感覚的に覚えていく。そんなふうに感覚を使って学んでいくような手法を考えていく必要があるということなんですね。
そしてそれをどのように学んだのか、さっきのふりかえり学習ですよね。どんなことを感じたのか、どんなことに心を動かされたのか。
スウェーデンの先生が言っていて、この言い方おもしろいなと思ったのは、今の私たちには日々いろんな情報が入ってきていて、量でいうと数トン単位だと。でもその中で本当に必要な知識っていうのは、数キロぐらいなんです。さらにその中の数百の知恵、そしてそこから何かやってみようという変化につながるのは数グラムほどしかない。アウトドア環境教育は、この数百の知恵の部分を狙いたい。具体的な行動を起こす前の、ちゃんとした知恵をみんなで学ぼうということなんですね。
数トンの情報をどう選りすぐって、先生が子どもたちと体験をしながら、また教科書を使いながら、知恵をその子のものにしていくのか。欧米ではもうそういう教育にシフトしています。今から25年前にアメリカに初めて行ったんですけれど、中学校の理科の教室を見に行ったら、壁一面に元素記号が書いてあるんですね。スイ、ヘー、リー、ベーってやつですね。だから向こうの先生に、「こんなの壁に書いてあったらテストにならないんじゃない?」って聞いたら、逆に「なんでこれを覚える必要があるんだ。」って言われました。「ここに書いておけばそれでいいじゃないか。それよりもそれぞれの元素がどういう働きをして、どれとどれが結びつくとどう変わっていくのか。そこを考えるのが理科じゃないのか。日本はこれを覚えているのか。」って。今から25年前です。今でもやってますよね。私たちはどうも日本のガラパゴスにいるみたいで、どうやってそれを覚えたらいいのかっていう工夫ばっかりしている。もっと根本的に、「本当にこれを学ぶ必要があるの?」っていう問いかけをしながら、この数百の知恵をどうつけるのか。




