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環境の村エコセミナー2014

エコセミナーは環境のことを学び考える勉強会。環境に関わる様々な分野の話を通して、北海道のこれから、私たちのこれからについて一緒に考えてみます。

アウトドア環境教育

山本 幹彦(当別エコロジカルコミュニティー代表)

国語や算数、社会など、教室の中で行われる学校の授業を野外でやろう。

森の中や地域をフィールドに実物と触れ合いながら、個性や感性に基づくひとり一人の学び方に合った教育を目指そう。

そういったアウトドアでの学びの取り組みが、スウェーデンなどヨーロッパで始まっています。

あらかじめ決められた目標やゴールに沿って、体験しながら学ばされる環境教育から、体験を通して主体的に学びあう環境教育へ。

教科書の内容を覚える教育から、身の回りの環境を通して、楽しみながら自分たちの生活を豊かにするための学びへ。

環境教育や学校教育に限らず、これからの教育を考えていくための、学び方を学ぶ「アウトドア環境教育」のお話です。

子どもの頃の経験:「知ることは感じることの半分も重要ではない」

 

 もうかれこれ30年近く、環境教育が必要だということで活動しています。そのうちの半分は北海道で活動しているんですが、それまでは京都にいて、私は京都生まれの京都育ちです。京都の街中の西陣というところで生まれて、教科書に出てくるような細長い家に住んでいました。

 京都には神社とかお寺がたくさんあるので、昔はそこに行けば自然がありました。観光で北野天満宮に行かれた方はいますか?  今だとちょうど梅の花が咲いてきれいなんですが、私の小さい頃はあんな梅園なんか何もなくて、あそこはただ大きな木がある草っ原で、私たちが幼稚園生のときに三輪車で走り回ってたところなんです。それがいつしかフェンスが出来て、ここは梅園としてお金を取るところだって子どもがみんな追い出されて。今はきれいはきれいですけれど、子どもにとっては受難の梅園なんですね。

 その近くに金閣寺がありますよね。金閣寺なんかも自由に入れたんですよ。あそこでカブトムシ採ったりしていたところなんですけれど、今は拝観料が千円ぐらい取られて入れない。ついでに言うとその隣の龍安寺、あそこに入るときれいな池があるじゃないですか。あそこ昔汚くてね。すぐ横の中学に通っていたので、学校が終わったらいっつもあそこで釣りをして。

 そういうところに住んでいたんですけど、だんだん子どもたちが閉め出されて、このままではダメだな、もう少し自然のあるところに行きたいなということで、15年前に北海道に来ました。ちょっと自然が多くてありすぎるんですけど。

 そうやって環境教育を始めました。「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」という本を読むと、やっぱり小さいうちは子どもたちを自然の中で過ごさせるのがいいんだと書いてあるんですね。私が一番感動したのは、その本の中にこんなセンテンスがあるんです。「知ることは感じることの半分も重要ではない」。

 今は小さいうちから英語だなんだって、多感な時期に知ることばかりを教えていますよね。感じる、身体を動かすということをあまりしない。もちろん知ることも感じることも両方大切なんですが、どちらかというと小さいうちは、感じること、感性を伸ばしてやる時期なんだとレイチェルは言っているんです。

 実は今日のアウトドア環境教育も、まさにこの話になると思います。

 

 

 環境教育が日本で始まって、環境教育学会ができて、その学会でいろんな話がありました。子どもの頃に自然体験をするのがすごく大切だと。でも、皆さんが小さいときには私みたいに自然体験たらふくされましたよね。

 それが皆さんが成長するにつれて、どんどん環境が悪くなっていきましたよね。それってなんか矛盾してるんじゃないのっていうことは、環境教育学会でずっと言われていました。ただ単に自然の中で遊んでるだけじゃダメなんじゃないかとか、そうは言っても経済の中でそんなこと言っていられない状況なんじゃないかとか。そのせめぎ合いがずっと話にあって、そこが非常に難しいなと思いますね。

 

 じゃあそこで、ただ遊んでるだけじゃなくて、大人がそばにいて一緒にその自然の大切さを心の中に染みこませるような、そういう人が必要なんだとレイチェルは言いました。 本当に「自然ってすごくいいね」っていうことをちゃんと話し合えること。

 アメリカの自然保護に尽力したジョン・ミュアーやアルド・レオポルド、レイチェル・カーソンもそうですね。そういう人たちが自分の生い立ちの話をして、どうして自然保護に尽力してるのかを聞いたら、やっぱり子どもの時の体験なんですね。小さいときに親と一緒に自然を楽しんだ。おじいさんと一緒に海辺に行って自然の凄さに感動した。今でも覚えてる。そういった気持ちが、自然保護をするための原動力になってるんだと多くの方が言っています。おそらく日本でもそうじゃないかと思います。私が子どもの頃に自然の中で遊んでいたときは、大人はみんな忙しくて一緒に遊べなかったんですけれど、ちょっと上のおにいちゃんおねえちゃんがいっぱいいて、そういう異世代で遊んでいました。もう学校が終わったら家にはいなかったですね。

 そういう、自然の中に入って感動する気持ちっていうのは、人間が生まれながらに持っている能力なんだ。大人ももう一度そういったものを思い起こすことが必要なんですよと。ああそうなんだなと、私もずっとこのセンス・オブ・ワンダーはバイブルのように思っています。

 

 じゃあそういったことが今の私たちの社会で実現できているんだろうか。今日は「アウトドア環境教育」というテーマで一緒に考えていきたいと思います。

『センス・オブ・ワンダー』

レイチェル・カーソン 著

上遠 恵子 訳 (1996)

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