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地域に根ざしたネイチャーセンターの活かし方・育て方
「ネイチャーセンターとコミュニティデザイン」京都ワークショップ

日本人が普通に持っている感覚

 

山口 会場の皆さんから、たくさんの感想や質問が来ています。

いくつか紹介しますと、「住宅街を歩いていても、たまに植物や花のいい匂いに嬉しい気持ちになります。ネイチャーセンターというのは切り取られたファシリティーではなくて、日頃の風景の中に自分もまた溶け込んでいる何かであるということなのかなと思いました。」

「博物館や美術館がネイチャーセンターになったらいいと思います。人工物だけが切り取られて陳列されるだけではなくて、多くの人たちが集い、何かを大切にし、残していく。そういうことが大切なのかなと思いました。」

しかし逆に、「現在あるネイチャーセンターの敷居が高いという部分に共感しました。」という感想がありました。特別なモノや場所、施設ではなくて、常々生きている私たちの空間がそもそも、ネイチャーセンターと言えるようにするにはどうしたらいいんだろうか。そういうことが皆さんのご感想だったかもしれません。

 

ブレント ネイチャーセンターは地域のコミュニティに根ざしていることが大切です。コミュニティによって決定し続けることが必要なのです。その中から、幸運にも資金や建物を提供してくれる人が出てくるかもしれない。そういう意味では、エコツーリズムは経済的な効果しか与えないものかもしれません。観光客は緑を踏みつけて帰ってしまうだけなのですから。

地域に根ざすということは、すべての文化によって異なっています。ソーシャルワーカーの役割は、それぞれのコミュニティのニーズとリソースをつなげることでもあると思います。

もしお腹をすかせた人がいれば、ネイチャーセンターは食べ物を与えるのではなく、食べ物を育てるための土地を提供します。そして地域のエキスパートを呼んで育て方を教えるというやり方をするんです。また、何らかの問題を抱えている子どもでも、地域の取り組みに手を貸すことができるのです。

 

キャロリン 私たちのネイチャーセンターは寄付によって運営していますが、「人と人とをつなげるということが大事」という話で言えば、私は、人が人に対して何かを贈るという「贈与」の関係を信じています。私は自分のプロジェクトに対して熱意を持って伝えることが出来るし、協力してくれる人が何に興味を持っているのかについて真剣に耳を傾けます。どの協力者に対しても大事に関係性を築いていくと、その関係はずっと続いていくものになるからです。そして、彼らに対する感謝の気持ちを忘れてはいけません。

 

山口 「アメリカのプロジェクトをそのまま日本に持ってきてもうまくいかないんじゃないか。単にひとつの方法を輸入するのではなくて、そこでの関係性や目的が大事なのではないか」という意見もいただきました。

 

キャロリン 私がこの数日間の滞在で感じていることは、日本人は自然に対して大きな理解をもっているということです。そして環境問題に対して大切な気づきを持っています。日本の文化は、未来に対して長い目で見ていくものだと思います。日本人は、アメリカよりもいいネイチャーセンターが作れるのではないでしょうか。

 

 

山口 「ネイチャーセンターのような取り組みは先進国を中心としたものではないのか。」という投げかけが出ています。

特に山崎さんには、「コミュニティデザインとネイチャーセンターはとても共鳴するところがあるというお話がありましたが、震災以降、世界の動きの中でネイチャーセンターも含めた日本のコミュニティデザインのありようは、どう位置づけられていくのだろうか」という問いが寄せられています。

そのことも踏まえて、日本の「場」のあり方や人びとの暮らしについて、また地域内のつながりや地域間のつながりも含めて、今後どう動いていくのかを教えていただければと思います。

 

山崎 「アメリカの事例がそのまま日本には当てはまらなそうだ」ということと、「自然と人を分けない」ということは、どちらもすごくピンと来るなという気がしました。

アメリカと日本の違いに関しては、ひとつは寄付の文化が日本にはない、税制がそうなっていないということがあります。シボロネイチャーセンターは寄付によって運営しているそうですが、アメリカでは寄付が納税の代わりになるんですね。

もうひとつは、日本人は神様の存在を至る所に感じる能力というか、文化みたいなものを持っていますよね。ゴッドが一人いるという感じではなく、もう八百万ぐらいいたりする。その辺の木にも葉っぱにもいる。そういう意味では、日本人のコミュニティというのは、僕らはどこまでをコミュニティとするかっていうことを自由に決められる文化の中に住んでる気がするんですよ。おおむねアメリカやヨーロッパの社会は、コミュニティという意味でも一旦人間と自然との間に区切りをつけようとするんですけど、僕らは細かく考えるとそれは非常にグラデーションで、自分たちだけではないところもコミュニティとして捉えることができる「技」を持ってる気がします。

1970年代のアメリカのエコロジーに対する批評のひとつに、「エコロジーという概念の中に人間は入ってるのか」っていうクリティカルな議論があったんですけど、これは日本人から考えれば当たり前な話で、「人間が入っていないエコロジーなんて考えられないんじゃない?」って普通に思える。だから僕たちが普通に持っている感覚って結構大事なんじゃないかなっていうことを思いました。自然の中に人間がいることと同時に、人間中心に考えたとしても、その感覚をどこまで広げるかはあなた次第ですよ、という感覚でコミュニティデザインを進めることが出来ますから、そこに日本のコミュニティデザインの可能性を感じています。

 

 

僕らはもう気づいてしまった

 

山崎 あのホワイトボードって書けるのかな。ちょっと書きますね。

世界の国々の関係性でいうと、ここに「開発途上国」があると。この国の人たちは、将来あんなふうになれたらいいなっていう国として「先進国」を見てるわけですね。アメリカも日本も「先進国」にいるとすれば、この人たちは今、「先進」の先に未来があるわけではないなっていうことがもうわかってきたわけです。原発のことを見ても、日本の都市化の問題を見ても、コミュニティの問題を見ても、今まで拡大成長していった先に未来があるとはもう思ってない。僕らはもうなんとなく気付いちゃったわけですね。ネイチャーセンターも大事だ、コミュニティデザインも大事だ、もっと大事なものがあるっていうことに。今ようやく方向転換しなきゃいけないと思ってるんです。「違う方向だったら?」って思ってる。自然と人間の関係もそうかもしれないですね。

日本やアメリカの役割はきっと、この開発途上国の人たちに、自分たちと同じような遠回りの道を見せるんじゃなくて、もう僕らはこっちを狙って方向転換していこうとしてますよっていうことを、きっちり示していくことが大事な気がするんですね。我々は経験したからこそ見えているこの先のビジョンを、しっかりと世界に対して示していかなきゃいけないし、実践していかなきゃいけないんじゃないかなという気がします。その実践の中にネイチャーセンターのいう取り組みがあるんだと思いますね。

 

梶田 中国を見ててもわかるように、やっぱりそこまで行かないとこっちに行けないっていうのが人類じゃないのかなって私は思います。これは自分たちで経験しないと、よその国のことをなんぼ言われても、自分たちの国がそうならなかったらまっとうに行けないのが、悲しいけど人類なんじゃないのかなと思います。

 

山崎 もうひとつ加えると、「開発途上地域」というものもやっぱり日本の中に現前としてあるような気がしています。いわゆる中山間離島地域は、東京や大阪みたいにならないと新しい方向に向かえないかっていうと、今僕がずっと見ている限りでは、いけそうなんですよね。東京にならなくても、新しいライフスタイルを生み出している人たちがたくさんいる。ものすごくきれいな風景のところに、のびのびとした椅子と机の空間で、田舎の人たちがすごくいいお茶飲んでたりするんです。でも、彼らは10年前ぐらいまでは地元にスターバックスが欲しかったんですよ。その中の何人かは実際に東京のスターバックス行って、椅子下げたら後ろの人にゴンって当たって「すんません」とか言う経験もしてるんだと思うんですね。それでこれじゃないなってことがわかったっていうのもあると思うんですが、自分たちの街にスターバックスがなくても、東京よりも全然おしゃれな文化を自分たちで作っちゃってるんですよ。僕はそれが可能性だと思ってるんですよね。

 

梶田 同じ国の中だったらある程度それができるものだと思うんですが、違う国で出来るかっていうと難しいと思います。だからこそ我々の中にある「国」という枠をどう崩していくのかが、グローバルという本当の意味では大事だと思います。でもなかなかそうはいかない。

いつも言ってるのは、「愛は地球を救わない」ということ。コミュニティは大事なんだけど、コミュニティを大事にする人が他のコミュニティとどういう関係をつくっていくのかということです。自分たちのコミュニティを愛するがあまり、周囲とのいさかいが起きてしまうということを我々はきちんと考えないといけない。コミュニティどうしの関係をどうデザインしていくのかが大事だと思うんです。

 

山崎 そこが大事ですよね。多分そこを、今僕らが知らないところで乗り越えちゃってるのがインターネットだと思いますね。国が違ったらわからないかっていうと、僕らより知ってるんですよ。同じ国じゃなくても、新しい情報をどんどん知っちゃってるのが今のボーダレスな社会なので、可能性はあるなと僕は思います。

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